キスの雨を降らせて
自分ではそれなりに納得した暮らしをしているつもりだった。
スタンドが発現してから数多くの厄介ごとに巻き込まれてきたものの、無事命を落とすことなく何不自由のない生活を送ってこれていた。あれから結婚もして新たな生命も授かった。ただ一番大切な時期に「弓と矢」の謎を追っている最中だったこともあって、家族に寄り添ってやることができず、最終的には離婚という形になってはしまったが。それでも、この厄介ごとに妻子を巻き込むことを防げただけでも良かったと思っている。そういった意味でこの結末と今の暮らしには納得していた。そう、ある報告を聞くまでは。
ポルナレフがイタリアで亡くなった。
SPW財団からそう報告を受けたのが2001年の春もすぎた頃のことだ。
この一言だけならば一般的な訃報なのだが、その言葉の後ろに続いたものは、ただ亡くなっただけではなく幽霊となって亀のスタンド内で暮らしている、という半生存報告だった。聞くところによるとそのスタンド能力のおかげか面会も会話も可能らしい。ただでさえ奇妙な話であるというのに、それに加えてその亀の居場所も、ついこの間康一くんに調査を頼んだDIOの息子である汐華初流乃、もといジョルノ・ジョバーナの元だという。スタンド使い同士は引かれ合うとはいえ何故ポルナレフがイタリアにいたのか。以前の長旅以降「弓と矢」の調査のこともあって度々連絡をとってはいたが、ここ暫くはこちらも忙しかった上にポルナレフからの連絡も全くなく交流は途絶えていた。間にSPW財団を介していたため、身の危険が迫ったらすぐに報告が入っただろうにどうしてこんな事態になっていたのか。
思わず電話口で問いただしたが、どうも「弓と矢」に関する調査の結果ある組織を突き止め1人でイタリアへと渡ったが返り討ちにあったらしく、孤立無援状態に晒されて財団の方もポルナレフと連絡がとれない状況だったらしい。仕舞いにはその返り討ちにあった時点で既に右目と右腕、そして両足をも失っていたそうだ。
あまりにも壮絶すぎる展開に言葉が出てこなかった。自分だけが置き去りにされたような虚無感と共に、何もできなかった自分へのやるせなさと怒りが込み上げる。この気持ちを一体どこにぶつけたらいいのかも分からず、承太郎の脳内には切られた電話口から鳴り続ける終話音だけが空しく響き渡っていた。
数日後、早速イタリアにいるポルナレフに会いに行くこととなった。
説明を受けた通り、ポルナレフは亀のスタンドを利用して暮らしているため自由な行動が出来ないらしい。それもその亀の世話を見ているDIOの息子が現在ギャング組織のトップを治めているとなると、こちらから出向く以外に方法がなかった。幸い現在は独り身に舞い戻り、大学を行き来するだけの比較的ゆとりのある生活をしていたため、スケジュールの融通も利いてポルナレフとゆっくり話せるぐらいの時間は作ることができた。
イタリアへの移動中、機内では常にポルナレフのことについて考えていた。スタンド能力によって成仏せずに存在し続ける幽霊は一応見たことがある。だが、いざそれが古くからよく知ってる人物だと聞くといまいちしっくりこなかった。それもとり憑いた対象が生命体である亀ときた。一体どういった状態でどんな姿になってしまったのか、そこに至るまでに何があったのか、そもそも本当に死んでしまったのか。未だに現実味のない話に不安が募る一方で、ただの死亡報告でなかったことへの安心感もあった。本人から直接話を聞くことができるということは現状における何よりもの救いだ。もしこの訪問が墓参りという形だったらもっと辛く絶望的な再会であったことだろう。そう思うと募る不安への多少の気休めにはなった。
落ち着かない心境のまま飛行機は無事イタリアへと到着した。
そしてそのままSPW財団の関係者の案内により、パッショーネと呼ばれるギャング組織の本拠地へと赴いた。
イタリアのギャングというだけあってか建物も組織の人物も特別目立った派手さはないが、立派に聳え立つ邸宅からは並々ならぬ威圧を感じた。ボスが代わってからは内部にもだいぶ変化があったらしく、現在は表社会でも通用する程の力をつけて更に組織を拡大しているそうだ。今後の目標やSPW財団との関係など組織の軽い説明を受けていると、ある一つの部屋へと通された。
「初めまして、空条承太郎さんですね」
部屋へと迎え入れてくれた人物、彼がジョルノ・ジョバーナ本人だった。
彼もすっかり日系っぽさが抜けてイタリア人らしい風貌へと変わっており、情報で仕入れた汐華波流乃としての面影はほとんどないように窺えた。
「君がジョルノくんか。忙しい中すまない」
「いえ、こちらこそ遠くまで足を運ばせてしまって申し訳ありません。どうぞ座ってください」
慣れた態度で淡々と話す目の前の少年に感心しつつ、勧められたソファーへと腰をかける。
毅然とした態度で年上相手にも動揺一つないその佇まいは、年齢のわりにひどく落ち着いてみえた。
なるほど、確かにギャング組織のトップに上り詰めるだけのことはある。こんな少年を相手にポルナレフはきちんと信頼を得られたのだろうか、過去の姿を思い出していささか不安に思う。
「ポルナレフさん、例の承太郎さんがいらっしゃいましたよ」
「おぉ、そうか。今行くよ」
聞き慣れない落ち着いた声に思わずその発信源と思われる方向へと顔を向けた。
けれどそれらしきポルナレフの姿は見えない。亀とは聞いていたが未だに実感が湧かず、久しぶりに変な緊張感に包まれた。
「手伝いますよ」
「すまないな、ジョルノ。近くまで行けたらそこまででいい。仕事中に付き合わせて悪かったな」
「いえ、丁度休憩中でしたから。せっかくの再会でしょうし、承太郎さんとゆっくりしていってください」
奥でポルナレフと会話をしていた彼が振り返りいよいよこっちへ向かって来ると、そこには両手に抱えられた亀がいた。普通の亀と何が違うかと問われれば、おそらく背中についている大きな鍵くらいだろうか。少年はそのままテーブルに亀を置くと、それではごゆっくりと爽やかな笑みを見せて部屋を出て行った。
目の前に置かれた亀にどんな反応をしたらいいのか分からず、2人の間に膠着した空気が流れる。
どこからどう見ても亀にしか見えず、懐かしさや悲しみよりも前に戸惑いしか感じなかった。
「……本当にポルナレフ、なのか?」
やっと発せれた一言はよそよそしい上に動揺が隠しきれない、いかにも不恰好なものだった。
さっきの少年との会話を聞く限りだいぶ雰囲気が変わってしまったようだが、もし昔のままだったらこんな自分の姿を見て真っ先に笑いながらからかってきたことだろう。ポルナレフと過ごした時は10年以上も前で止まっていて、今の彼の姿すらも想像がつかないとなるとどんな風に話しかけたらいいのかすら分からない。
「あぁ、すまない。久しぶりに顔を見たら色々思い出してしまってね。久しぶりだな、承太郎。………ほら、間違いなく私だ」
ポルナレフはそう言うと、亀の背中にある鍵から身を乗り出すように小さな上半身を現した。
大きさは亀と同程度で右目には昔は無かった眼帯が着けられていたが、その表情と佇まいから窺える面影はあの頃のままだった。懐かしさと痛ましさに目元がじんわり熱くなるのを必死で抑える。
「………随分と間抜けな格好になっちまったようだな。痛みはないのか」
「もう肉体は死んでいるから痛覚はない。平気だ」
改めて話される事実に承太郎の顔が歪む。幽霊だという報告に偽りはなかったようだ。
こんなにもはっきり見えるのにこれが実体ではないだなんて信じられない。
それほどにポルナレフの表情は繊細で、動きも自然で、だからこそ余計に苦しかった。
「せっかく会えたんだ、そんな顔はするな…」
「すまない…」
「どれ、ゆっくり話でもしようじゃあないか。この亀のスタンドは甲羅についた鍵の内側に部屋を作るという能力でね。その部屋ならもう少しちゃんと話せるだろう。亀自体にはもう魂はないが、スタンド能力は残っているんだ。入って来てくれ」
そう言ってポルナレフは再び亀の中へと引っ込んだ。
ポルナレフの話から察するに、この現状は、失われた亀の魂の代わりにポルナレフの魂が亀のスタンドにしがみ着いている、といったところだろうか。まだ状況を把握しきれてないもののポルナレフの淡々とした振る舞いに、自分も少しずづ落ち着きを取り戻し始めた。
大きく息を吸い込み鍵へと手を伸ばすと、手から順に身体が鍵へと吸い込まれ始める。
未知の感覚に思わず身構えたが、次の瞬間目の前に広がったものはなんの変哲もないただの小部屋だった。
べッドやソファーも置いてあり、まるでさっきまで居た部屋から別の部屋へとワープしたような気分だった。
ただ一つだけさっきの部屋と違ったことは、目の前にポルナレフがいることだ。最初に見た亀の姿でも寸前の上半身をちょこんと出したあの小さな姿でもない。等身大で全身までしっかりとある、とても幽霊とは思えないポルナレフの姿がそこにはあった。右目の眼帯は勿論SPW財団の報告通りに、右腕にはプロテクターに支えられた義手が、そして下半身にも包帯で巻かれた膝から下は剥き出し状態の義足が、まだその肉体を支えているかのように装着されていた。そんな見るのも辛い痛々しい姿のままポルナレフはベッドに腰を掛けていた。
こんな友の姿を見て、今自分は一体何を思えばいいのだろうか。
等身大のその姿はあまりにも鮮烈で、死んだという事実と重ね合わせるとあまりにも残酷だった。
色褪せ始めていた過去の記憶が息を吹き返したかのように脳内を駆け巡る。誰よりも落ち着きがなくて騒がしくて、それでいて誰よりも感情的で情に厚くて、澄んだ瞳で大きな口を開けて笑うあの姿が再び色を取り戻す。しかし、
時が進むことを知らぬまま何年も記憶に居座り続けていたその姿は、今、目の前で痛々しい身体を晒しながら静かに微笑む未来の姿とはひどくかけ離れていた。
「改めて。久しぶりだな、承太郎」
差し出された手へとゆっくり近付いて握り返す。感触はある。触れている実感はある。
けれどその手はひたすら冷たくて。その脈は波打つことを知らなくて。あの誇り高き騎士としての血はもう流れていなかった。ここにきて初めて幽体であるのだということを直に認識させられた。きっと理解していたつもりでも、心の奥底ではどこかこのスタンドの中ならばしっかりと生きているのではないか、スタンドの外に出たら死んでしまうとかそういうものなのではないかと、そんな都合の良い幸せを望んでいたのかもしれない。
ポルナレフの前だけでは気丈で居たかった。
若い頃のまま強くて逞しい空条承太郎で居たかった。
けれど流石にこれは無茶がある。
承太郎の頬に一雫の涙がつたった。
何年ぶりの涙だろうか。そもそも人生で何回目の涙だろうか。どんな残酷なことにも耐えてきたはずだった。
苦しみや悲しみも堪えて、歯を食いしばって生きてきたはずだった。たとえ涙腺が緩んでも頬をつたうまで溢れることはなかった。目から溢れたものが頬をつたうこの感触は自分でも生まれて初めてのものだった。
「承太郎……!?」
ポルナレフが驚くのも無理はない。涙を流した自分ですら驚いているのだから。
今まで何度も残酷な場面に出くわして数多くの人や物を失ってきた。それでも現実を受け入れ、それを糧にさらに前へと突き進んできた。それなのに何故こんなにもこの現実を受け入れたくないのだろうか。何故こんなにも胸が苦しいのだろうか。
それ以上声をかけずに黙り見守るポルナレフから与えられた時間を使って、ただひたすらに考えた。
この涙の意味を、そして伝う感情の答えを。今まで抑えつけてきたものとは何が違うのか。
けれどこういった見えないものを追求するのだけはどうも不得意で、辿り着く答えは見つけられず、結局は時間の無駄にしかならなかった。意味なんかない、きっとそれが正解なのだろう。そう自分に言い聞かせて頬の雫を肩で拭った。
「悪いな。………もう平気だ」
「………承太郎、悪かったな。私はせっかくお前に命を救ってもらったというのに大切に使い切ることができなかった」
「…………あぁ、そうだな」
「けど後悔はしていない。結果的に矢は取り返した。それだけで私の命に並ぶ価値がある。それほど矢は大きな存在だったんだ。だから改めて言わせてくれ。私は……いや、俺は承太郎に感謝している。ここまで何かのために誇りを持って闘える人生を送れたこと。そして今でも、こんな形ではあるがまだこの先もこの世の行く末を眺められること。俺は嬉しく思ってるぜ。それができたのはお前がいたからだ。…心からありがとう、承太郎」
未だ握り合っているその拳に徐々に力が加わり熱が籠る。普通の者ならばここまで力が加われば、痛いと声を上げこれ以上手を握られるのを拒むだろう。けれど亡き者であるポルナレフの冷たい手にはその熱も感触も伝わることはない。幽体のポルナレフには視覚からの情報しかないらしい。触れることは出来るのに本人にはその感触が分からないようだ。そりゃそうだ、肉体は死んでいてこの姿も魂の具現化でしかないのだから。
今ここで自分に感謝の言葉を述べたポルナレフは既に死んでいるのだ。
目の前で自分の名を呼び、静かに微笑むこの声も表情も本物であって本物でない。再び声が聞けたこと、再び見つめ合って言葉を交わせたこと。それは本来故人とはとることのできないコミュニケーションであり、それが出来るのは大変稀で喜ばしいことであるのは分かっている。それでも腑に落ちることはない。理解は出来るようになっても、納得することだけは出来なかった。
ポルナレフから溢れ出す言葉は過去と全く変わらない。後ろを振り返ることを知らず、この状況に陥ってでもなお前を向き続けている。常にブレることのないその瞳の奥に光るものは、未だに曇ることを知らずに輝き続けていた。
けれどだからこそこの胸は締め付けられる。
この曇りのない眩しい光と共にもう一度世界を旅したかった。もう一度隣に並んで歩きたかった。もう一度その温もりに触れたかった。
キツく握りしめていた拳がゆっくりとその力を弱め、ポルナレフの手から離れていく。
それに合わせて身体の力が抜けていく。承太郎は肩の力が抜けるとともに膝から崩れ落ちた。
「承太郎………」
「………っ…いいから聞かせな」
「き、聞かせる?」
「…そんな身体になるまで何が起こったのか、死ぬまでに何があったのかだ。てめーが良ければでいい」
「俺は構わねーけど…
その、な……」
相当酷い話なのだろう。ポルナレフの目が泳ぐように戸惑いを見せた。
「そんなもん覚悟の上だ。こんな状態で今更格好つける気も、やっぱり聞きたくないだの駄々を捏ねるつもりもねぇ。それにてめーをそんなんにさせた野郎はもう死んでんだろう。俺もこんな歳だ、暴れもしねぇ」
「そうか、分かった。ただ今から話すのは全部俺の自業自得だからな。分かってるとは思うが同情なんかしてくれるなよ?」
「…あぁ、分かった」
神妙な顔をしつつも頷くと、ポルナレフはゆっくりと空白の期間に起きたことを話し始めた。
矢の調査の一環として故郷での少年を中心とした麻薬の急激な繁栄に疑問を持ち、イタリアのギャング組織が関与していることを突き止めたこと。単独で調査を続けた結果、組織のボスにまで漕ぎ着けたが返り討ちにあったこと。そこで右目と右腕、両足を失ったこと。その後は農村で隠遁生活を送りながらも調査を進め、自分の代わりにそのボスと闘える者を探し続けていたときに、現パッショーネを率いるジョルノ・ジョバーナが属するとあるチームに出会ったこと。…そして彼らとコロッセオにて落ち合う場面で再びそのボスの奇襲を受け負けたこと。最期にスタンドに矢を刺してなんとか矢を守ろうとしたこと。その際に周りの者と魂が入れ替わる能力が発動して亀と入れ替わったこと。肉体が死亡したことにより、レクイエム化した上に暴走を始めたスタンドを抑えることもできず、チャリオッツを消滅させるしかなかったことも。
ポルナレフは第三者ですら耳を塞ぎたくなるようなことまで、途中に疑問を抱く余地がないほどにその全てを語った。話している間も、仲間が犠牲になったときの話では表情に僅かな辛苦が見られたが、総じて毅然とした姿勢を保ったままだった。しっとりと過去を語るその様子は、初めて出会ったときに復讐心に捉われ熱く過去を語っていたあの頃に比べると年月の経過というものを強く感じさせられた。
「…これが今の現状に至るまでの全てだ。一つの抜け落ちもねーぜ。俺自身の考えが足りなかった部分は今思い出すだけでも数えきれないほどある。組織に1人で突っ込んだことを始めな。けどきっとこれが最善だったんじゃねーかとも思ってるんだ。勿論俺以外に犠牲がなかったわけじゃあねぇ。でも俺が最初に一度返り討ちにあったことで、身体の一部の代わりではあるが経験と情報が得られた。そしてそれを希望に繋ぐことができたんだ。これがなかったらもっと犠牲が増えてたかもしれねぇ。だろ?」
どうして1人で飛び込む前に呼ばなかった。そう言うより先にポルナレフから釘を刺された。
たった1人ではスタンド使いの集まる巨大なギャング組織に敵うはずがないことくらい、いくらポルナレフでも分かっていたはずだ。分かっていても立ち向かっていったのは、おそらく昔となんら変わってないポルナレフの性格からだろう。あの頃もそうだった。気が付くといつもポルナレフばかり奇襲に遭っていて、その場を共にしていない限り助けを呼ぶことを知らない。当時はそのことについて目前のものに捉われて周りが見えないところがある、くらいにしか思っていなかった。けれど年を重ねて守るものができたとき、ようやくポルナレフの気持ちが分かった。仲間や家族を自分が招いた危険に巻き込みたくないというこの思い。ポルナレフも当時から色んな過去を背負っていた男だった。復讐に他人を巻き込みたくない。自分が見つけた敵は仲間に手間取らせたくない。皆で歩いていようが、自分だけが敵の気配に気付いたら自分だけで詰め寄りに行く。元々血の気が盛んな性格ではあったが、それと同じくらい情にも厚かった。思い返してみるとそこには常に身近な人物への分かりにくい優しさがあった。
似たようなことを祖先の話で聞いたことがあったが、それがきちんと理解できるようになったのは妻と娘を持ってからだった。血を継ぐ者であっても危険に巻き込むわけにはいかない、傷つけてはいけない。ポルナレフもそうだったのではないだろうか。以前の旅での犠牲は大きかった。全員が共に命を救いあった仲だっただけにその重さはそこら辺の知り合いとは比べものにならない。そんなポルナレフの心境を汲み取ると軽い気持ちで応援を呼ぶことなどできなかったのだろう。きっとポルナレフなりにかなり悩んだ末での単身突入だったのではないだろうか。そして結果的に俺を巻き込まなかったことを正解だったと思っているのだろう。
けれど今話を聞いて初めて考えさせられたことがあった。それが残された者の立場だ。
こんなに苦しくてやるせない思いを味わう日がくるとは思ってもいなかった。何故ポルナレフの気持ちを理解できるようになったのに、長年連絡がないことを不審に思わなかったのか。何故そんな性格と分かっていたのに、あの頃のように必死こいて探し回らなかったのか。もし気持ちを理解したあの瞬間にこの異変に気付いていれば、ポルナレフの犠牲もないまま助かったかもしれないというのに。
最後に連絡を交わしたあのとき、あと少しだけ手を伸ばしていたらこの手の熱はちゃんとポルナレフに届いたのだろうか。
それを口に出させないように振る舞うポルナレフの優しさが今は憎い。守ってやるぜ、たまには頼りな、あとは任せな。今更になって言いたい言葉が山程浮かぶ。けれどそれももうポルナレフ相手には今後永遠に意味を持つことはない。
「そうだな。間違ってはいなかっただろう。…けど合ってもいねぇ。てめーは一つ大事なことを忘れてる」
「……………あぁ、そうだな」
「……………俺の気持ちだ」
ポルナレフも分かっていただろう。残された者の気持ちなど。
かつて自分を庇って亡くなっていった友に対するこのやるせない思いは誰よりも分かっていたはずだ。
「……だよな。そりゃそうだよな、承太郎だって普通の人間なんだよな。ワリィ、俺どっかで承太郎なら大丈夫って思ってたんだ。温かい家族に支えられてたし、何よりお前はいつも強かった。あの頃から高校生には思えねーほど肝っ玉座ってたし、俺が守られることはあっても俺が守ってやれることなんてなかった。だから足引っ張るわけにはいかねぇって思いと共に、どっかでは俺なんかいなくても大丈夫だろうって、そう思ってたんだ…」
そんなわけあるはずがない。けれど湧き上がるこの得も言えぬ思いをぶつける先はなく、腹の底に溜まっては重みを増していく。俺なんかいなくても大丈夫だろう、その言葉にも怒りが湧く。なんでそんなことを思ったんだ。誰が大丈夫なんかでいられるんだ。今すぐ胸倉を掴んでそう言ってやりたかった。
それでも孤立無援状態だったことに気付けなかった自分にはそれを責めることはできなかった。
「…けどよ。……けど……お前が涙なんて流すから……似合いもしねぇのに歪めた顔なんてするからよ……絶対……絶対後悔しねーって誓ったってのに……っ………」
ポルナレフは手で目元を覆った。痛覚もないだろうに、まるでまだ生きているかのように唇を噛み締めて思いを留めるかのように身体を震わす。素直にボロボロと涙を流すあのときの姿はもうない。そしてポルナレフにとっても、いつでも強くて逞しい、涙なんか無縁だったあのときの承太郎の姿はもうなかった。
涙を流すつもりなんてなかった。ポルナレフと話すときだけはあのときと変わらぬままでいたかった。
今日だって多少の覚悟はしてはいたが基本的にはそのつもりだった。けれど久しぶりの再会というものは思ってた以上に感性を掻き立てられた。バカをやりながら笑ったあの旅路も、別れ際に押し込んだ感情も、連絡を取り合って些細な幸せを感じてた日々も、その全ての記憶が鮮明に蘇り始める。
最近の生活にだって満足していたはずだった。妻も娘も危険のない新しい幸せを見つけていることだろう。
守るものは己のみ、己の身は己で守る。そんな独り身の暮らしは案外気が楽で、これはこれでいいと思っていた。
顔を合わせて、実際に触れて、改めて気付かされた。こんなにも守りたいと思っていた人物がいたことを。涙が頬をつたうほど亡くしたくない人がいたことを。この数年間の暮らしを全て破壊してしまいたいと思うほどに不満をもったことなど、今まで一度もなかった。つい先日、いやポルナレフに再会するその直前までずっと納得した生き方だと思っていたのに、人間の心理がこうも簡単に変わってしまうものだったとは思いもしなかった。
思い出は色を取り戻し、心理は反転し、過去と現在の境界線のような位置に承太郎は立っていた。
「「ごめんな、承太郎…」」
目の前から聞こえてくる渋く落ち着いた声に、記憶の底から聞こえてくる若くて張りのある声が重なる。
何度も聞いてきた同じ言葉なのに、明るさも重さも真逆でその違いが痛切に感じられた。
「てめーが一番聞きたくない言葉だろうがこっちも色々限界がきてんだ。聞き流してもらっても構わないが言わせてもらうぜ」
「…俺だけ聞き流すわけにはいかねーだろ。お前も聞いててくれたんだ。ちゃんと受け止めるぜ」
「……助けを呼ばなかった気持ちはわからんでもない。それくらいは理解できるようになった。財団を頼りきって連絡がないことを不審に思わなかった自分が何よりも一番、腸が煮え繰り返るほど腹立たしいと思ってる。だがな、てめーがいなくなっても俺が大丈夫ってのもその次くらいに納得がいかねぇ」
崩れ落ちたままだった脚に再び力が入り、承太郎はそのまま立ち膝をついた。
そしてすっと両手を前へ出すと、ポルナレフの頬を包み込んだ。
「こんなに生きてて後悔したことも、大人気もなく涙なんざ流したことも、今までに一度だってなかったことだ。………俺もてめーがこんな目に遭って今更気がつきやがったぜ」
あと少しだけでも生きているポルナレフに触れていたかった。
くだらない遊びやしょうもない占いだかで、なんの意図もなしにその手を握り、その顔に触れていたあの日々を少しだけでもいいからもう一度送ってみたかった。
「今更すぎて笑っちまうがな、やっと気付いたのに言わず仕舞いも勿体ねぇから言うぜ。
ポルナレフ、お前のことがずっと好きだった」
どんな怒りも後悔も押し込めて、全てを想いに変えて承太郎は笑ってみせた。
「言うのがおせーよ、バカ。死んだやつに告白するとか俺が幽霊じゃなかったらどうしたつもりだァ?」
「そりゃ死んでも悔やみきれねーだろうな」
「バーカ、俺は生きてて欲しいと思ったから呼ばなかったんだぜ。ちゃんと使命全うしやがれ」
「呼んでたらテメェの命も助かったかもしれねぇがな」
「お前、ディアボロ舐めんなよ!?おっさんになっちまった承太郎にはちと厳しいだろうぜ」
「誰がおっさんだ。テメェだってすっかり若者の前ではジジイぶってるじゃねぇか」
そう、この感じだ。時が経っても、肉体が滅んでも、変わることのないこの感覚。くだらないことで笑って、くだらないことでじゃれあって。過去の旅でも辛さや悲しみを乗り越えて笑ってきた。普通の奴らにはできなくても、それを経験してきた自分たちにはできる。せっかく再会したのに涙で始まって涙で終わっては女々しいどころじゃない。
その後もポルナレフとはたわいもない話を続けた。気付いたら自分もベッドに上がっていて、時の流れも忘れてくっちゃべっていた。旅の思い出話に花を咲かせ、あの頃から好きだったかもだとか、いやあのときからだとか歳のことなんか忘れたかのように幼稚な会話もした。離婚の話なんかしたら生涯独身だったくせして説教もしてきた。けど最終的にはやっぱり危険な目には遭わせられねーよななんて同調し始めたり、お互い精神面で成長したこともあって感慨深い話もできた。
そしてこんな時間が永遠に続けばいいと思い始めた矢先に、終わりの時はきてしまった。喋り続けていたら喉が枯れるだろう時間がいともたやすく過ぎて、スタンド内から外へ出るとすっかり日が暮れていた。
「また近い内に会おうぜ。もしできることなら今度はSPW財団にでも頼んで日本にも遊びに行くからよ」
「そうだな、楽しみにしてる。こっちも仕事柄、亀なら適当に理由つけて暫く身を置かせてもらえるかもな」
柔らかな表情のまま、次会う約束や連絡先の交換をした。若干念入りにも思えた連絡先やその頻度の確認からしても、お互いの思いが今更ではあるが繋がったということが実感できた。今後一切ポルナレフの身体に触れて温かみを得ることはない。けれど、10年以上も前に置き忘れられたその温もりに並ぶものを、この先また見つけることができるかもしれない。絶望だけではない未来がちゃんと待っていることをポルナレフは強く訴えていた。今からでも遅くないから悔やんだ空白の部分を一緒に埋めていこう、まるでプロポーズかのようなその言葉に年甲斐もなく喜んだ自分がいた。きっとあの死亡報告を受けてからずっと謎だった異様な胸の痛みの答えはここにあったのだろう。
「またな!承太郎ッ!!」
「あぁ、またな」
ポルナレフの上半身が亀の中へと淡い光と共に消えていく。
結局ポルナレフには強く言えなかったが、やはりいつか朽ちると分かっていたならば少しでも側にいたかった。
覚悟を決めた時点で一言でもいいから助けを呼んで欲しかった。いつも自分は仲間の死の瞬間に立ち会うことができない。そう語った相手であるポルナレフさえ、守ることも立ち会うこともできなかった。どんな思いで闘っていたのかも共有してやれないこのもどかしさがむず痒くて仕方がない。もっとこの思いをストレートにぶつけてやりたがったが、あんなに色々考えてたなんて知ったら強くも言えない。多少のしこりを残しつつも、また次会う日を思い描いて承太郎は日本へと帰って行った。
「…承太郎のやつ今更好きだなんてズリィぜ。俺の方がずっと好きだったつーの。………承太郎の気持ちが分かってたらあのときの俺の判断も変わって違った未来があったりしたのかなァ〜、なんてな…」
どこかのスタンド内から聞こえたその声は誰にも聞かれることなく、月が輝く夜空に向けて呟かれた。
結果的に2人は無事再会し、お互いの気持ちに気付かされる機会を得た。
これで良かったのか、これで満足なのか。
結果的に2人が涙を流すこととなり、もしかしたら生きたまま再会できたかもしれない夢を見た。
それともまだ満たされてないのだろうか。
あのとき2人があと少しだけ手を伸ばせていたらその手はお互いに届いただろうか。
1/8の後悔の音が鳴り止むことはなかった。
(初音ミク 7/8 歌詞参考)