キスの雨を降らせて
「だからちげーよ、手はこうだろッ!恐喝じゃあねぇンだからよ…。お前モテるわりには女の扱いがなってねーよなァ。これじゃ折角彼女ができてもすぐに愛想尽かされちまうぜ?」
そう語る男を目の前に、承太郎は珍しく動揺していた。
どうしてこんなことになったのかはよく覚えてない。俺とポルナレフは一足先に食糧の買い出しを終え、じじい達の燃料調達の帰りを待っているところのはずだった。それがどうしてだか今、俺はポルナレフのやつを壁際に追いやっている。勿論俺がポルナレフに変な気を起こしたわけでも、ポルナレフ相手に恐喝しているわけでもねぇ。じゃあなんでこんなことになってるのか、んなもんこっちが聞きたい。
先に集合場所に到着してから既に結構な時間が経っていた。燃料組は遠くから重い燃料を運んで来なければなければならないのに対して、食糧組は男2人もいれば簡単に運べてしまう上に、近場の商店街を練り歩くだけで事足りる。燃料組が車を使ったとしても互いの集合時間に差が出るだろうということは最初から想定されたことだった。だが砂漠の街での待ち時間というものはなかなかに退屈なものだった。そうなると静かにできないこの男、ポルナレフはしきりに承太郎に絡んできた。それが嫌だったわけでも面倒だったわけでもない。ただ、灼熱の太陽の下を散々練り歩き、道中も終始色んなものに目移りしては騒いだり迷子になりそうなポルナレフの相手をしていたため少し疲れていたのだ。
承太郎は一方的に語られる話をBGMにしながら壁に寄り掛かって休んでいたはずだった。
それが一体いつから恋愛なんかの話になり、どこから実際に練習してみるなんてことになったのか、適当に相槌を打っていただけのはずだった承太郎にはさっぱり分からなかった。とにかく意識がはっきりしたときにはポルナレフに迫っていた。ポルナレフにとっては話の流れ上自然で、尚且つ無意識な行動なのだろうが、話に深く介入せず流れに流されっぱなしだった承太郎がハッとしたときに感じたものは、この状況はマズいという直感だった。
幸か不幸か集合場所である路地裏には人気がない。それは敵に動きを察知されないため、察知されてもすぐに応戦できるようにするためと襲撃に備え皆で話し合って決めた場所だったが、この状況では怪しい雰囲気を作り上げるいいスパイスでしかなかった。
「最初の方はがっつきすぎても駄目だぜ、あくまでも紳士的にな。女の子は強引な一面と優しい一面のギャップによえーんだ。ほら、ちょっと目線合わせようとして屈んでみろよ」
そんな雰囲気なんか気にも留めずにポルナレフはそのままの体勢で話を続ける。
承太郎がこの状態で少しでも腰を曲げて屈めば、間違いなくポルナレフの顔が目と鼻の先にまで近付くだろう。ここまではとりあえず相槌を打って、言われた通り行動に移してきていた承太郎だったが、意識を取り戻したこともあり流石に躊躇いを覚えた。思わず視線を泳がすが、燃料組や他人の気配もなければ、あまりに閑静すぎて上手く逃れるきっかけになる物すらない。だからといってここまで相槌しかしてこなかった自分がいきなり否定の形で口を開くのもおかしく、結局そのまま言う通りに従うしかなかった。
変に空気を意識してしまっただけに謎の緊張感が承太郎を支配する。
普段なら男だろうが女だろうがなんてことのない距離だ。それに出会ってからまだ日が浅いとはいい、ここまで存在感の強い人物であるポルナレフの顔なんて見飽きるくらいには見てきた。それなのに緊張を覚えるというから人間の意識というものは恐ろしい。いっそ自分も無意識のまま話に付き合い続けていたらどんなに気が楽だったろうか。
壁に着いていた手の肘が軽く曲げられる。同じように腰が少しだけ折れ、承太郎の上半身が前方へ傾く。
自然と顔がポルナレフの顔の位置にまで近付き、水色の無邪気な瞳と視線がぶつかる。
一切の恥じらいもない笑顔を浮かべるそれにため息すら出そうになった。
「………こうか?」
「ブラボー!!やれば出来るじゃねーか!お前がやると嫌になるほど様になるぜッ!」
「男に言われても嬉しくねぇな。まぁこんなこと女にもやらんがな」
承太郎はそう言うと空いてる方の手で帽子のツバを下げ、ポルナレフから顔を背けた。
普段通りの態度を保てているとはいえ、意識の差でこっちは雰囲気に危機を感じている。さすがにこの距離での直視は居た堪れない。ただでさえ女に飢えた旅の途中だ。欲を満たす余裕すらない日々を送ってるだけに、場の雰囲気に酔ってそれこそ変な気でも起こしかねない。本能がブレーキをかけたのだった。この流れでさり気なく身体の方も離してしまおうかなんて考えが頭をよぎる。しかしそれも次のポルナレフの行動ですっかりタイミングを逃すこととなった。
何を思ったのか、承太郎の顔にポルナレフの両手が添えられる。
そしてそのままグイッと顔を動かされた結果、承太郎の視線はポルナレフによってまた水色の瞳にへと戻された。だがそれはさっきの恥じらいのない笑顔とは打って変わって、一切の曇りもなく透き通った鋭い眼差しだった。ポルナレフは承太郎の瞳を射止めたまま、おもむろに口を開いた。
「お前本当それだけが駄目だな」
「…………女への対応のことならもういいぜ」
予期せぬ展開についに否定の言葉が飛び出した。
ここまでちゃんと話に乗っていたというのになんだが、自分がポルナレフを壁に追いやり、そのポルナレフが自分の頬を両手で包み込んでいるだけでなく、2人の眼差しも真っ直ぐ互いへと向けられている。この状態は流石にアウトだ。自分の本能は勿論だが、そろそろ燃料組も帰って来るだろうということもある。変に誤解を生み茶化されてもうっとおしい。
「いやこればっかりは女がどうとかの問題じゃあねぇ。男の俺でも思うことなんだがよ、その帽子で目元隠そうとすんのやめろよ」
承太郎がこの状況と体勢についてで頭がいっぱいになっている中、ポルナレフの対象は真っ直ぐ承太郎だけを捕らえていた。顔を動かされた時点で既に目を丸くしていた承太郎だったが、このポルナレフの言葉に更に目を丸くした。
「お前よく人と話すときにそれやるだろ?ほら、こう、ちょっと俯いたりよ。笑ってるかどうかくらいは口元見りゃ分かるけど折角笑ってンならそのツラも見せろって。帽子外せとは言わねーけど笑ったり悲しんだりっつー表情はなァ、言葉以上に大きいものになるときがあるんだよ。女だろーが、男だろーが関係なくな。ただでさえお前は言葉が足りねぇンだからよ!」
そう言いながらポルナレフは承太郎の頭を帽子越しにわしゃわしゃと撫でると、そこでようやっとふにゃりとした笑顔を見せた。
ポルナレフはたまにこういうところがあるから困る。
普段は自分より年下に見えることがあるくらい落ち着きがなく、直情で理性が効かないことが多いくせに、ふとしたときに年相応な人生の経験者としての目線で言葉をかけてくるときがある。本来なら玄人ぶった説教なんざ押し付けがましくて糞くらいだが、どうもポルナレフの話し方はそれを感じさせることがほとんどなかった。それどころかこういうちょっと大人びた発言をするときには、どこか表情に憂いを感じることすらあった。普段は陽気で豪快に口を開けて笑うようなことが多いせいか、穏やかに微笑むときには決まってポルナレフの心の内が垣間見えるように思えることがある。
そして今もそうだった。承太郎はこういうときのポルナレフには弱い。安易に触れられない、綺麗に透き通っているガラス細工のように感じるときがある。いつもならうっとおしいくらい近い相手が、ふと遠い存在に思えてしまう。頭を撫でられるなんてガキくさいものは嫌いなはずの承太郎が、黙って撫でられていることがその良い証拠だった。
「…なんだ、説教か?」
言葉ではそう言いつつも、その視線はポルナレフから逸らされることのないまま微笑みを浮かべていた。
「ハハッ、それでいーんだよ、それでなッ!…説教くせぇこと言っちまったけど、ただ単に俺もお前の色んなツラがもっとちゃんと見てぇだけだ。折角整った顔してンだ。泣こうが笑おうが承太郎なら様になるんだからよ、わざわざ逸らすな」
全く、これで無自覚だというのなら本当に恐ろしい男だ。
この姿勢でこんな言葉囁かれたら誰だって過剰な反応をするだろう。
女についてやたら語りたがるが、現に女を引き連れたりはできない理由はこの鈍感さ故か。
ここまで出来た奴なら喜んで拾う輩がいてもおかしくはないのだが、どうも三枚目の域から抜け出せないらしい。まぁそこが良いところなんだろうが。けれど同じようなことを他の奴らにも吹き込むのはなんだか面白くない。ポルナレフにはちょっとばかし反省でもしてもらおうか。
そう思うと承太郎はある悪戯を思い付いた。
「…流石に褒め過ぎだ。それもこんな状況でよく言うぜ。てめーは鈍感が過ぎる。男相手だろうが他の奴なら何しでかすか分からねぇぜ。まぁ、そのときは守ってやるがよ。……これでちったぁ反省しな」
「へ?…お、おいッ!?ちょ、待てッ!じょ、じょう……んんっ」
それはうるさい口を塞ぐような、キスというよりも唇にかぶり付くといった表現に近いものだった。
合わさった時間はそう長いものでもなく、軽くむしゃぶりついたそれはすぐに小さなリップ音を立てて離れていった。シチュエーションとしては完璧だったがポルナレフの表情だけはムードの欠片もなく、目がまん丸に見開かれていた。ゆっくりと瞼を開けた承太郎は、そんなポルナレフの目をしっかりと見つめて満足気な笑みを浮かべた。
「お、お前なァ〜〜///」
「なんだ?そっちの国じゃ挨拶みてぇなもんなんだろ」
「口にはしねーよッ!するのは頬だッ!!」
「そうか、じゃあ頬にし直すか」
「しなくていいッ!つーかすんなッ!てめーバカにしてんのかッ!?」
「これに懲りたら少しは周りからの目もちゃんと気にしな」
その後もポルナレフはなんのことだだとかふざけんなだとかギャアギャアやかましく反論してきたが、顔を真っ赤にして言っている時点で説得力は皆無だった。そんなポルナレフの反応を楽しんでいると丁度車のエンジン音が遠くの方から近寄ってきた。
「やれやれ、やっと来たぜ。遊びはここまでだ、行くぞ」
あえて自ら遊びと言うことで承太郎自身も気持ちを落ち着けた。これ以上本気にしてはいけない。
今は母の命と共に自分の命もかかった非日常的な旅の途中だ。気の緩みが死に繋がる旅で遊びを繰り返す暇も、本気にとってわざわざ障害の大きい色恋沙汰に現を抜かす時間もない。キスなんかしたのだって暑さと雰囲気に酔った悪戯心のせいだ。それまでにすぎない。
「おい待て、承太郎ッ!」
「…なんだ」
「笑うときだけじゃなくてここぞってときは泣くときもちゃんと相手の目をしっかり見てやれよッ!そンときはぜってー言葉の何百倍もの思いが伝わるからよッ!!」
「…あぁ、泣くことがあったらの話だがな」
ポルナレフはその言葉に満足そうな顔を見せると、2人は何事もなかったように車へ向かって歩き出した。
向こうからも3人の影が近づいてきていた。
2人のキスは誰にも見られることも、語られることないまま。
その後2人きりのときがあろうがどんなことがあっても一切話題に出されないうちに旅は幕を閉じた。
そして旅が終わるとき、そこには2人にしか分からないとあるサインがあった。
しっかりと混ざり合ったその視線からはきっと互いに交わした言葉の何百倍もの思いが互いに伝えられたことだろう。