夕日坂






あれはディオとの決着が着いたと思われた12月初旬のことだった。


冬の始まりかけであるこの季節になると日が傾く時間も段々と早くなり、夕方にもなるとその寒さはより厳しさを増した。街行く人々も身を縮こませながら早足で帰路へと就く。そろそろ世間も冬の本番に備えて本格的な防寒対策を練ることだろう。イギリスの冬というものは、日照時間が短いのに加え、天候が優れず街全体が霧に包まれることも多い。気候上大雨に見舞われることは滅多にないが如何せんムードには欠ける。恋人と街を歩くならいっそ粉雪がチラつくくらいに気温が下がるのを待ってからの方がいいだろう。 そんなどんよりとした天候が連日続く中で何故かその日だけは雲一つもない晴天だった。寒さもほのかに和らぎ、外を歩くことが心地良いと感じるその感覚は誰もが首を傾げるくらいには珍しかった。普段は暗く重たい雰囲気が漂う日没時ですら、その空には美しい夕焼けが輝いていた。


そのせいだからだろうか。あれから何十年も経った今になってもその日の帰り道のことを鮮明に思い出すことができるのは…。










ディオとの決戦から早一週間。
平穏な日々を取り戻しつつあった丁度そんな頃合いに、ジョースターさんから一本の電話が入った。


『生活環境を整え直すために必要な物を集めている。良ければそれらに関する店の情報を教えて欲しい。』


それがジョースターさんからの用件だった。
ディオや石仮面に関することではそれなりに頼まれごともあって情報収集の手伝いをさせてもらってはいたが、プライベートな相談事を持ち掛けられたのはこれが初めてだった。いかにもな依頼に、頼ってもらえた嬉しさも相俟って二つ返事でそれを引き受けた。 しかし、漠然と生活環境を整えるといっても服や食糧などの生活用品から家具や壁紙などのインテリア・雑貨までとその種類は様々だった。邸が焼けてしまった以上仕方のないことではあったが、口伝達でそれだけの店の十分な情報を伝えるのはなかなかに難しい。店によっては注文の仕方も異なるだろうし、一歩間違えたら貴族の生まれであるのをいいことにぼったくりに遭う可能性も高い。そもそも大学を卒業したばかりのジョースターさんが1人で財産も整理し、新たな住処から日用品までの全てを揃えるってのも無茶な話だった。


となるとやはりここはお節介焼きなこのスピードワゴンの出番ってなもんで、直接案内しながら一緒に買い物を手伝わせてもらうようにと頼み込んだ。申し訳ないからと遠慮する相変わらずなジョースターさんを上手く言いくるめて、今日は朝から隣町の大きな商店街にへと出向き、一日中色んな店を巡った。





「今日は色々付き合わせちゃって悪かったね。でも色んなお店を回れてすごく楽しかったよ。本当にありがとう、スピードワゴン」

「楽しんで頂けたようで何よりだぜッ!こんなことくらいしかしてやれねぇが、俺なんかで良けりゃあいつでも呼んでくだせぇ」

「ふふっ、とても心強いよ。じゃあまた頼んじゃおうかな」

「おぅよ!!俺はジョースターさんのお役に立てることなら何だってするぜッ!」



思わず身を乗り出してそう言うと、少し上の方からありがとうという声と共に柔らかな微笑みが返ってきた。
すっかり日も暮れた帰り道。オレンジ色の光が降り注ぐ閑静な小道を2人並んで歩く。


今日は珍しく天候に恵まれた。
最近は連日小雨がチラつき、空一面が灰色の雲に覆われるどんよりとした日々が続いていた。湿った空気が身体を震えさせる、それがこの時期のごく一般的な気候だった。だからてっきり今日もそんなことだろうと思っていたのだが、この日を待ち侘びて高鳴りを増していった胸の鼓動が空へと届いたのか、今日は朝から見事なまでの快晴だった。その後も天候は一日中崩れることなく、午後も暫く過ぎればこれまた滅多にお目にかかれない美しい夕焼けを拝むことができた。そんな夕日に照らされたジョースターさんの笑顔は、いつもよりもより一層優しいものに感じた。



「ねぇ、スピードワゴン。今日は僕の用事に付き合わせちゃったけど、今度は君の用事にも付き合わせてくれると嬉しいな。いつもお世話になってるし、それに……。それに、スピードワゴンは僕にとって初めての親友なんだ。そろそろ僕も君に何かしてあげたいと思ってね」

「し、親友…ですかい…?」



その単語に、前に本人から聞いたある話を思い出した。
ジョースターさんの物心が着き始めた頃にディオは邸にやってきて、奴はその頃からジョースターさんの全てを奪っていったという。友達も物も全てが侵略されたかのように奪われていったと。こんなにできた人間だというのに周りからはとんでもない誤解をされていたらしい。ここ数年間はそんな嫌がらせも少しは落ち着いていたと言っていたが、それでもこの反応からするとどうやら親しい友人を作るきっかけはあまりなかったようだ。そんな過去の事実の先があの結末だったと思うとジョースターさんが不憫でならない。
自分なんかと出会うもっと前から多くの親友と出会えただろう人物なだけに心が痛む。



「えへへ、親友なんて図々しすぎたかな?」

「図々しいなんてとんでもねぇ!!……ただ、その…俺なんかでいいんですかい?あまりにも身分が違うっつーか、こんな汚ねぇゴロツキ出身の俺なんかがジョースターさんの親友の位置を貰うのは勿体ねぇと言いますかぁ…」



元々ジョースターさんとは住んでいた世界が違う。育ってきた環境も連んできた連中も全てが違う。
ましてや元は追い剥ぎのリーダーだった俺が、こんな真っ直ぐ正しい道を歩く人の側にいることすら本来なら厚かましいことこの上ねぇ。普通に接してくれるだけでもありがてぇと思ってるのに、親友だなんて同列に扱われちまうのはジョースターさんの名誉を穢すように思えて仕方がない。
せっかくの言葉を素直に受け入れることすら恐れ多く、目を逸らして誤魔化すように頬を傷痕を掻いた。



「………君はどう思うんだい?僕の親友と言われて迷惑だったり不快に思ったりするならはっきりと言って欲しい」

「何言ってるんですかいッ!?ジョースターさん!!俺がアンタに慕われて不満に思う要素がねぇぜ!そりゃあ嬉しいに決まってるッ!」

「それなら良かった。スピードワゴン、僕は君を生まれや育ちなんかで見たことは一度もない。僕は親友になることに身分なんて関係ないと思ってる。それともう一つ。例え過去がどうであれ、僕は今の君と接しているんだ。僕のことを思って一緒に闘い、一緒に涙を流してくれた君とね。僕はそんな君のことを誇りに思ってる。だからこそ君の親友でありたいんだ」



なんて温かい言葉。なんて清らかな心。 この屈強で気高い精神にどれだけ希望を垣間見たことか。
身分なんか持ち出した自分が情けねぇ。ジョースターさんはそんなもんで人を計ったりしない。過去のことを引っ張るような弱さや醜さもない。そんなこと今まで共に過ごしてきて分かってたことじゃねぇか…。
心中でそう語りながら拳をグッと握り締める。



「ジョースターさん…。アンタは本当に甘ちゃんだぜ。とことん俺の好きな大甘ちゃんだ。間違いねぇ、ジョースターさんは立派な俺の親友だ。何もできやしない不甲斐ねぇ野郎だが、これからもよろしくしてやってくだせぇ」

「ふふっ。なんか嬉しいなぁ。うん、スピードワゴンは僕の一番の親友だよ。こちらこそこれからもよろしくね」



自然とお互いの目が合う。195cmもあるその身長に合わせて見上げながらその瞳を直視する。然程小柄でもない自分の体格のことを思うと、なんとも言えぬ違和感を覚える。本来ならば可愛らしい清楚な女性が起こすアクションであるというか、男女で映えるシチュエーションというか。
そんな甘ったるい空気のむず痒さに耐えきれず、帽子を被り直すフリをしながら目線を前へと戻した。



「な、なんと言うか、アレですね。改まって言うと小っ恥ずかしいっつーかなんつーか………ははっ、何言っちゃってるんですかねぇ、俺ぁ!せっかくしんみりとしたいい雰囲気だったのに申し訳ねぇ!!!」

「いや、その、実は僕もちょっと恥ずかしかったんだ。スピードワゴンとは今までずっと一緒にいてもらってたのに、こういうことを改まって言うのは初めてだったからね」

「いやぁ、ほんと…有難い限りですぜ…」

「う、うん。こちらこそ…」



慣れないやり取りに顔が火照る。
そんな情けない顔を悟られまいと隠すのに精一杯で、上手い切り返しも思い浮かばず、会話が途切れた。
向こうも黙り込んでしまった辺り、この気まずい空気を感じ取ってしまったのだろうか。
そう思ってチラリと横目で様子を窺おうとした瞬間、真っ赤な顔のジョースターさんと目が合った。互いにハッとしてすぐさま目を逸らす。考えていることが全く同じであったことに更に顔が熱くなる。気まずかった空気がより気まずさを増してしまった。


自分の方が幾分歳上のくせに情けないったらありゃしない。それも普段は荒れた貧民街を取り仕切って数々の修羅場を掻い潜ってきた街の顔だというのに、こんなことでひどく動揺させられるとは…。 自己嫌悪と羞恥でまともに思考が働かない。





その後も沈黙が破られることはなく、ただひたすらに小道の野草を踏み締める靴音だけが辺りに響く。
胸のざわめきも段々と治まり、ようやく通常の思考回路を取り戻す。すると先ほどまでは自分の鼓動のせいで全く耳に入ってこなかった靴音に注意が向いた。音は主にジョースターさんの人並み以上に大きな革靴から発せられていた。逞しい脚がしっかりと地を捉え、そのまま力強く前へ前へと蹴り進んで行く。冷静な心情で見て初めて意識させられるその歩幅の大きさ。そしてそれと同時に自分の歩き方にも意識が向いた。全く違うその速さや幅にぴったり合わせるように歩いている自分。必ずほんの少しだけジョースターさんの後ろを歩くようにしている自分。 知らず知らずの内に2人で歩くときの癖ができていたことに気付かされた。


正直なところ、今日ジョースターさんから親友と言われるまでその近さを理解していなかった。
いや、親友と言われてからもどこか違っているような不安感があった。未だに尊敬する人物を遠くから見ているような、ずっとずっと高いところにいる人の土台にぶら下がっているような感覚でいた。けれど今、初めて出会ったときからもう何度もこんな風に2人で歩いてきて、無意識に他の人との歩き方と区別するくらい共にいたんだということに気が付いた。身に沁みてこの距離を実感してようやく全ての不安が拭えたように思えて、やっと『親友』という言葉に少しだけ得意げな気分になれた。


その喜びを思わず口に出しそうになったところで、2人の間に流れている空気のことを思い出す。
この坂を登りきれば今日の終わりを告げる分かれ道がきてしまう。いい加減この沈黙を破るべきかと息を吸い込む。けれど今更になってどんな話題を振ればいいのか、この状況でなんの話を切り出せばいいのかも分からず、吸った息は声を発することのないまま静かに肺から抜けていった。


天気だとか景色だとか全く関係のない話を持ち掛けて、勢いで押し込んでしまおうかとも思った。何もなかったかの様に息をつく暇もなくペラペラ話せばジョースターさんも自分のペースに合わせてくれるだろう、と。けれどその裏で、折角今まで有耶無耶だった関係性についてをしっかり示してくれたのに、その流れを潰してしまうのは勿体無いとも思ってしまった。恥ずかしくてまともに聞いてられないくせにもっとその先の言葉を求めてしまう。自分のことを語るジョースターさんがもっと見たい。もっとありとあらゆる面で認められたい。


俺は自分より若い坊っちゃんに何を思ってんだか…。


「……………はぁ」


立場すら見失ってる自分に呆れることしかできず失意の息が漏れた。



「…………大丈夫かい?」

「へあっ!?」



急に大きな背中がぐるりと振り返り、心配そうな顔がこちらに向けられた。
長すぎた沈黙に対して不意打ち過ぎる言葉につい取り乱した。



「さっきから段々と君の歩みが遅くなっていたことが気になっていたんだ。だけど上手く話しかけるタイミングが見つけられなくて…。やっぱり速かったよね。ごめん、もう少しゆっくり歩くよ」

「そんなッ!俺は全然平気だぜ!!さっきのは…そのぉ…ゆ、夕日が綺麗だったもんで!!ほら、こんな時期に見れるなんて珍しいもんだからよ、ついため息が……。ハハハッ、なんか気ィ遣わせちまったみてぇですいやせん!」



そう言って大袈裟に笑ってみせる。
ちょっと苦しい言い訳かとも思ったが、こんな状況で本当のことなんか言えるわけがなかった。


「ハハハハハハ…ハハ…ハ…ってジョースターさん?」


ジョースターさんの歩みが止まる。 俯いているせいで表情が分からない。
変に誤魔化したことがバレてしまったのだろうか…。衝動的な不安に駆られる。



「ジョ、ジョースターさん…俺は本当に…」
「あと少しだから」

「え……」



何とか場を取り繕うと思ったその瞬間、再び思考回路がショートした。
ジョースターさんは身体を進行方向に向け、顔は俯かせたままスッと右手をこちらに差し出した。
家具や壁紙のほとんどは予約発注で後日受け取ることになっており、他に今日買った物は全てジョースターさんがリュックに入れて背負っている。おかげで自分は手荷物を何も持っていない。となると一体この手はなんなのか、目をパチクリさせて口を開けたまま固まる。


「疲れているんだろう?君はいつも僕に遠慮しすぎだ。お願いだからもっと僕のことを頼ってくれ。君はもっと自分に素直になるべきだよ。……ほら、あと少しだから」


ゆっくり上げられた横顔はまさに真剣そのものだった。さっきの自分の態度が疲れを隠して遠慮しているように見えてしまったのだろう。それで歩く速さをこっちに合わせるために手を差し出してくれた。彼らしくて分かりやすい気の遣い方だ。けれど実際の自分はそんなつもりでもなければ、特に歩き疲れたわけでもない。早く訂正して誤解を解かなければ。そう思っていたはずなのに、その差し出された手がなんだか無性に嬉しくて。その思いが自分だけに向けられていることに心がじんわりと満たされて。素直になるべき、なんてそんな甘い言葉に誘われて、思わずそのまま従ってしまった。


「は、はい」


差し出された手を取り握り返す。
緊張で手が震えてないか、変に思われてないか、なんて格好もつかない女々しい感情が胸を支配する。



「これからはちゃんと言ってね。遠慮は無しだよ、スピードワゴン。僕らは親友なんだから」

「お、おぅ!!善処しやすッ…!!」

「良かった。こういうのちょっと憧れてたから…。今日は本当に色んな体験させてもらったよ、買い物も帰り道も含めて全部。素敵な一日だった」

「へへへっ、そりゃあ良かった。俺もジョースターさんとゆっくり会話できて楽しかったですぜ!それに今日はジョースターさんの笑顔もいっぱい見れた。アンタの笑顔はあったけぇ。俺の一番好きな顔なんだ。それが見れただけでも一生の思い出だぜッ!」

「…っ!!あ、ありがとう。 なんかスピードワゴンからそういうの聞くの凄く久しぶりだね。ゆっくりちゃんと聞けたのは今日が初めてかな。とっても嬉しいよ」



歳上だとか暗黒街のリーダーだとか、今はそんなのもうどうだっていい。
今日はそんなモン知ったこっちゃない。全部無しだ、無し。今日は俺も甘ちゃんだ。


絡められた指から鼓動が伝わってくる。その鼓動から生まれる熱が全身を温めていく。
晴れたとはいえ冬に差し掛かったこの小寒い時期には、その熱がとても愛おしく感じた。





手を繋いでゆっくりと長い坂を登る。 まったりと世を語らい、美しい景色に囲まれながら閑静な道を行く。
夢のようなふわふわとした空間に身を委ねる。けれど夢には必ず終わりがあり、別れも目前に迫る。



「ここまで、だな…」

「うん。そうだね」



2人の指がするりと、最後に少しの名残惜しさを残して離れた。



「いやぁ、いい一日だった!天気も良かったしよぉ、おてんとさんもジョースターさんの新たな門出を祝ってくれてる証拠だぜ!」

「ははっ、だといいなぁ」

「大丈夫ッ!そうに決まってるぜッ!それに俺もまた近い内に家具の配置とか手伝いに行きやす。失ったものが大きすぎるがジョースターさんは決して1人じゃあねぇ。まだまだジョースターさんの未来は希望でいっぱいだからよぉ、どうか負けねぇでくだせぇ」

「そうだね。スピードワゴンの言う通りだよ。僕は負けない。僕にはまだ無限の希望がある。そしてスピードワゴン、君もまた僕の希望の一つだ」



その言葉に思わず目が潤む。
この人に出会えて良かった。
何度も思ったその思いを改めて噛みしめる。



「…夕日、綺麗だね」

「…あぁ。こんな寒いのに立派なこった」

「ねぇ、もう少しだけここで話そうか」










そうしてあの日、夕日が沈む少し前まで2人で話をした。
あの頃の自分は恋とか愛とか深いことも考えずに、ただ彼の側にいることや、さり気ないやり取りで彼の温もりに触れることに幸せを感じていた。今思えばそんなありふれた幸せに恋をしていたんだろう。気が付くといつの間にか彼のことだけを見て追いかけて、彼さえいれば笑っていられるような、そんな安直な本能を持っていた。


今日、あれから数十年ぶりに快晴の冬の日をイギリスで迎えた。


ここ数十年はイギリスに帰ること自体が少なかった。エジプトを渡り、起業してからは世界各国を転々と飛び回った。彼の子孫に会うために何度かイギリスにも帰ってはいたが、冬の空は決まって暗く重かった。 けれど今改めて思い返してみたらそう思っただけで、その間は天気のことなど気に留めたことは一度もなかった。壮絶だった決戦の日や出会ったときのことは最近でもよく思い出してはいたが、あの日のことは歳を取る度に思い出すことが減り、記憶も霞んでいっていた。正直、今日という日がこなかったら二度と思い出すことはなかったんじゃないかとすら思う。


目の前に広がる夕焼け。閑静な小道と少しの肌寒さ。多大な年数の経過で若干小道の周囲は荒廃しつつあったが、それでも昔の面影が残っていた。革靴で野草を踏み締めながら、1人で坂を登る。一歩前へ進むごとに一つ、また一つと当時の思い出が蘇っていく。景色と感覚があの日の全てを呼び覚ます。どんな模様の壁紙が好きだったか、どんな食べ物が好きだったか、どんな将来を望んでいるのか。商店街を巡るときもそんな話をしていた。


「懐かしいな…」


どんなときも彼だけを見続けて、彼のために笑いながら生きていこう。明日のことも知らずに初めての感情に思いを馳せて、そう天に誓ってたあの頃。まだ彼が優しく微笑みかけてくれたあの頃。
数ヶ月後の惨劇もまだ知らない、ありふれた幸せがずっと続く気がしていたあの頃。


全ての記憶を思い出したときには既に例の分かれ道まで辿り着いていた。 握り締めていた拳を開いてじっと見つめる。籠っていた熱が寒さで消えていくその感覚が、あのとき彼の手から離れた瞬間とダブる。彼が時の中へ消えていくような切ない感触。思わずそれを連れ戻そうと放出された熱を捕まえるように空を握り締める。


「待って…くれ……」


力なく呟かれた情けない声に自分でも嘲笑したくなった。結局今ここまできても彼相手には自分は女々しいままか。当時の誓いも守れず、声が枯れるまで涙を流したあのときからまだ変われていないのか。少しでも誓ったものを叶えられないかと彼の子孫を守り、起業してからも支え続け、希望を繋げ、これで自分もようやく報われたと思っていた。けれどどうやらまだこの思いは満たされていないようだ。


「情けないな、昔から本当に…」


こんな自分を見たら彼はどう思うだろうか。
自信を持つんだと優しく励ますだろうか、それとも真っ直ぐに情けないぞと叱咤するだろうか。
そもそも今でも行動や判断の基準を彼がいたらと考えている時点で呆れられるだろうかな。
本人がいないとはいえ、これ以上情けない姿を晒すわけにはいかない。
当時と同じように彼が帰って行った方向に背を向けて歩き始めたときだった。



『僕から言うことはたった一つだよ』

「…っ!?」

『ありがとうスピードワゴン、僕は今でも君が大好きだ』

「ジョナサンっ!?」



ハッとして後ろを振り返ったがそこには誰もいなかった。


ほんとに数秒の出来事だった。
幻聴だったのだろうか、それすらも確認がとれないほどの短い間だった。
でも確かにはっきりと聞こえた彼の言葉。まるで意思疎通したかのように語られたそれに、自分の願望による錯覚だったんじゃないかとさえ思った。 けれどふと手に違和感を覚えて両手を広げてみると、両手とも同じように開かれているのに、何故だか左手だけがまるで人の熱を与えられたかのような優しい温かさを帯びていた。そしてじっと眺めている間にその温もりはスルリと離れていった。


「ジョー…スター…さん…」


久しぶりに昔の呼び方で彼を呼んだ。
懐かしくて少し恥ずかしい当時の呼び名。


「…夕日、綺麗ですね」


気のせいだったかもしれない。幻聴だったかもしれない。
けれどあの日と同じように、今日だけは一つだけ甘えることにした。
今だけは彼が横にいる、そう思って夕日を眺めた。


美しい夕焼けはまるで彼の笑顔のように優しく、まるで自分の心のように切なく、静かにその身を燃やしていた。


彼の話したことも、彼が描いた未来も、この景色も、忘れられることのないままずっとこの記憶の中に眠っていた。それほどまでに濃く愛した存在だった。きっと当時からはっきりとした答えはなくとも薄々気付いていただろう感情。けれど想うほどに怖くなって自分でも知らないフリをしていたあのとき。そんな当時の若い自分に何度か後悔を覚えたこれまでの日々。それも今となっては青く懐かしい過去の思い出。ただそれは思い出にしてはあまりにも自分に近すぎて…。



『ジョースターさぁん!!俺だってよぉ、アンタのことが今でもずっと大好きだぜッ!俺ぁ、もうちっとこっちで頑張るからよぉ、ジョースターさんはどうかこれからもそこから俺を見ててくだせぇ!!』



目を閉じるとそこには天に向かってブンブンと手を振る若き頃の自分の姿があった。
今の自分にはとてもできない、細かいことなんか考えずにただひたすら真っ直ぐ彼にぶつかっていっていたあの頃の自分の姿が………。










(初音ミク 夕日坂 歌詞参考)





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